“わかる、というのは心のありようです。自分の分類原理をすべてに適用することです。客観的な分類原理がどこかに存在していて、それが自分に入ってくるのではありません。”
“書いてある文の背後に「書かれていない意味」があるから、それを50字以内(句読点含む)で書けとか、つぎの(ア)~(オ)のなかから選べとか。そんなことばっかりやってきたせいで、書いてある文の背後にあるらしき「書かれていない意味」を発見だか発明だかするのが「読む」ということだと信じている貧しさ。”

以前にも書いたが、もう一度書く。ザムザは虫になったあと、めんどくさいので二度寝しようとする。ところが、それすらできない。なぜか? 〈現代人の不安と孤独〉とやらに悩んで眠れない──のではない。断じて違う。

右側を下にして寝るのが習慣なのに、いまの状態ではそういう格好になれないのだ。右側を下にしようとどんなに力を入れても、ごろんとあおむけの状態に戻ってしまう。〔丘沢静也訳〕

一家の大黒柱が虫に変身した。一大事である。そしてその一大事によって最初に派生したトラブルが

「右を下にする姿勢が取れないから、眠れない。だって、虫になっちゃったから」

そんな話があるか。それがあるのである、私の手のなかの文庫本に。

 最低な話だ。つまり、最高の小説ということだ。

社会問題が、いい気持ちでヌく泣くためのズリネタ燃料になってしまう。泣きのツボは百人百様だからそれも勝手だが、たとえ泣いたとしても、これで泣いたと公言する勇気は私にはない。

 本人は泣いたことを公言していい人になった気分なのだろうが、ではその社会問題のことを、泣いた翌日も、翌々日も、翌週も翌月も、引き続き考えるつもりになったのか。そうじゃなくて、ただ泣いたことを公言したいだけなんじゃないのか。そのくらいで共感ポイント=ヌキどころを公言していいものだろうか。

 だとしたらその人の言う「泣ける」「共感する」「理解する」「わかる」なんて所詮、自分の既知の図式にものごとがハマった、それが快感として脳に刺戟を与えた、という反射で終わりである。

 もちろん、理解した問題のためになにか行動を起こす決意、なんてこと、「共感する」「理解する」「わかる」の定義にはおそらく、なにひとつ入っていない。「わかる」の基本は、じつのところ、この

「自分の既知の図式にものごとがハマった、それが快感として脳に刺戟を与えた、という反射」

である。

社会的弱者を笑いの種にするのは、世間的に「悪」だ。だから危ない橋を渡る覚悟が要る。

 いっぽう、社会的弱者を笑いの種ではなく「泣きの種」にすることは、いまのところ非難されないらしい。それどころか、「これで泣いた」と大声で連呼する人もいる

“とにかくなんでもいいから泣きたい、泣くためなら社会問題だろうがなんだろうが燃料として消費してしまう、そういう読者がたくさんいた、ということではないのだろうか。”
“「俺か世間か」問題とは、なんとなく発言力を持ってそうな他人(「世間」「流行」「権威筋」「通」など)と「俺個人」とが、特定のコンテンツ(なんでもいいが、この連載のばあい、おもに文学作品)の好悪・評価で割れてしまうという、日常茶飯の問題である。”

任天堂の最強法務部はどこへ行ったのか? 12月3日、パリにて行われたニンテンドーDSのマジコン訴訟で任天堂がまたしても敗北を喫した。

 この訴訟はマジコンの販売グループ『Divineo』に対して任天堂が販売停止を求めたもので、裁判官はこの訴えを退ける判決を下したどころか、任天堂に対してこのような発言をした。

 「任天堂はニンテンドーDSの開発者を不正に閉め出している。開発者が望むならば、彼らはどんなアプリケーションでも自由に開発できなければならない、そう、Windowsのように。任天堂は開発者を閉め出すことによって、システムを“不法”に保護している」

 ようするに「いつまでも殿様商売できると思ってんじゃねーぞこの野郎」と裁判官に言われてしまったわけである。

“今回の仕分け対象は449事業と国が手がける約3000事業の中の一部にとどまり、民主党の公約も対象にはならなかった。来年度の事業仕分けでは公約も含めて聖域化せず、厳しく仕分けする必要がある。”
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AMERICAN GALLERY - Marc Burckhardt